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アメリカと日本

安倍首相によるトランプ氏の「大偵察」

2016年11月22日

安倍首相とトランプ次期アメリカ大統領の会談が、日本時間で11月18日朝、行われた。目的は誰にでもわかるように、日米安保とTPPをめぐって、トランプ氏の心中を探ることと、日本として伝えるべきことを伝えるにある。
これは「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し」と評された幕末の革命家高杉晋作が好んだ言葉で言えば、「大偵察」に当たるだろう。
「大偵察」とは大局を見ることが必要なとき、政略眼のある者が、諜報などに頼らず、そこがたとえ敵地であっても乗り込んでいくことである。

高杉晋作に限らない。西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、坂本龍馬といった幕末の英傑たちは、皆、「自ら動くべき」と判断したときには、命を掛けて動いたものである。

今回のアメリカ大統領選において、外務省はヒラリー優位の判断を崩さなかった。私もそうであった。世の大勢はヒラリーと読んでいたのだから無理もないと言い訳はできるが、反省である。
しかし、安倍首相はそんな外務省に対し、「希望的観測に陥っている」という思いを抱き、パイプづくりを急がせていた。そして、トランプ氏確定の報が流れるや、自ら祝電を起草し、今回の会談を取りつけたという。

安倍首相の政治家としての心構えや反射神経は、見事だと思う。


会談後、安倍首相は「トランプ氏は信頼できる」と語った。
そこへ至る前段階として、佐々江賢一郎駐米大使のトランプ氏への面会があった。佐々江大使が、日本が在日米軍のために負担している金額などについてトランプ氏に説明後、トランプ氏は米軍の駐留費用について、他の国とひとからげに日本を非難しないようになった。
このことから「報道されているほど、理解力のない人間ではない」という観測が導き出された。さらに実際に話をしてみて、論理の通る人物と評価したように思われる。

今回の会談は、日本とアメリカの緊密さを世界にアピールすることにもなった。誉めることによってこれまで異常者扱いされてきたトランプ氏の株も上がり、大統領に就任してから仕事がやりやすくなる。それにより、安倍首相への心証もよくなる。アメリカとの関係は良好に保つ必要があるのだから、リップサービスはしないより、した方がよいだろう。

もちろんトランプ氏の政治家としての手腕がどれほどのものかは、ふたを開けてみないとわからない。それでも現時点では、「信頼できる」と判断した意義は小さくない。

しかしながら、日本にとって今後のアメリカの動向が明るいかと言えば、そうとは言えない。
トランプ氏の勝利の意味を一言で言えば、「アメリカ国民は変化を望んだ」ということだからだ。では、何から何への変化か? 
外向きから内向きへ、ということだ。なにしろ、アメリカ国民は「メキシコとの間に壁を立てる」に賛成したのである。


今、アジアでは巨龍のように中国が台頭し、周辺諸国を揺らしている。
その傍若無人ぶりは腹立たしい。日本だけでなく、東南アジア諸国もそう思っている。そう思いながらも、経済的には中国に依存している。

強い国になびくのは、外交の基本である。タイはアメリカや日本の顔を立てつつ中国に接近して二枚舌外交を演じているし、南沙諸島問題の当事国であるフィリピンですら、中国との協調を図っている。

このような動向は、日本にとって有利ではない。もしもアメリカがアジアから大幅に手を引いたら、中国はためらいなく尖閣諸島へ上陸してくるだろう。それはそれで日本人に自力で国を守る必要性を再認識させる機会となり、憲法改正に大きく影響を与えることになるであろうから、見方によってはプラスと言えなくもないが…。


南沙諸島の埋め立てなどに見る中国の動きは、パクスアメリカーナへの挑戦でもある。アメリカは十分にそれを認識している。にもかかわらず、なぜオバマ大統領は強い態度に出てこなかったのか?
それには大きく分けて2つの理由が考えられる。まず第一に、中国はこれまでアメリカが敵としたことのある国の中でも、かつてのソ連に匹敵する強敵だからである。

中国のGDPは近い将来、アメリカと同等レベルに達するか、追い抜く可能性がある。1人あたりのGDPは小さくても、国に経済力があり、兵隊の人数が多ければ、仮に戦争となった場合、手強い相手となる。
同時に重要な貿易相手国でもある。取引先を叩きのめしたら、結局は自分に返ってくる。

もう1つの理由は、中国の未来は割と容易に読めるからである。書店に並んでいる「売らんかな」のビジネス書にあるような派手なバブル崩壊や大分裂は起きないだろうが、今後、経済が減速することや、人口ピラミッドから見て2040年には少子高齢化に悩むようになることは予測できる。

(ついでながら、経済の減速については下層階級である農民をマーケットとして脱していくであろうし、その代わり人権を制限されている農民戸籍と都市戸籍の障壁の撤廃を行っていくことになるだろう。
また、大分裂は起きないだろうが、あれだけの規模の国を中央集権で運営するのは困難であり、いずれはアメリカの州制に似た制度を取り入れて、政治機構を分散させることになるのではないかと思われる。)

20年後、中国は全体的に豊かになる代わりに、大人しくなっているだろう。一方、アメリカは移民も多く、若さと活力を保ち続ける。未来の勝利者はアメリカである。勝つことがわかっていて、無理をする必要はない。

とは言え、アメリカも中国に対して何もしないでいると、アジア諸国から見限られ、この地域でのプレゼンスを失ってしまうだろう。
影響力を保持する必要はある。安倍首相のトランプ氏への評価が確かなら、その程度のことは理解すると思われる。


トランプ氏が、選挙期間中に吐いてきた暴言のうち、どれだけ実行するのは、まだわからない。

TPPはもともと製薬などアメリカの弱い産業を伸ばすためにアメリカ発で始まった交渉事なのに、本当になげうってしまうのか?
本当に、ロシアのシリアへの大幅関与を認めるのか?
本当に、オバマ大統領が収入の低い人々のために構築してきた医療保険制度改革(オバマケア)を引っくりかえしてしまうのか?
本当にメキシコとの間に壁をつくって、その費用をメキシコに払わせるのか?(笑)

アメリカはその成立の根底に「人類の理想社会」という意識があり、「世界の警察官」を自ら任じてきた。しかしながら社会は成熟し、冒険よりも安全を、世界に理想を広めるよりも自国の実利を求める方へ転換していくのも「流れ」である。

安倍首相はそれがどの程度のものか、本質部分を掴んできたに違いない。
「大偵察」がその意義を発揮するのは、来年、トランプ氏が大統領に就任してからである。

<追記>
トランプ氏について、私としては、以前「アメリカ大統領選は、なぜ1年以上も時間をかけるのか?」にチラリと書いたが、「ただの馬鹿ではない」という評価が、今のところ妥当かと思っている。戦略眼もありそうだ。
その意味で、安倍首相はトランプ氏の中に何かを見たのかもしれないが、話し合いの具体的な内容は報道されていない。

<追記の追記>
トランプ氏が安倍首相との会談後、「就任初日にTPPを離脱する」と表明したのを受けて、新聞には「安倍首相との会談を裏切るものだ」という論調の記事が出ている。
これは違うだろう。
会談の内容は秘密にされているので、もちろん私の考えも推測に過ぎないのだが、トランプ氏も安倍首相を最重要人物と見たから最初に会ったのであり、そんな顔を潰すようなことをするわけがない。新聞記者なら、そのくらい、わからないといけない。
会談の模様を想像してみた。

A:アメリカと日本はTPPについて、数年間をかけて交渉し、ようやく妥結した。貴方はTPPに反対の立場だが、私はTPPはアメリカにとっても利益になるものだと確信している。見直しを望みたい。
T:それはできない。私も政治家だ。自分に票を入れてくれた有権者を裏切るわけにはいかない。この会談後、TPP交渉からの離脱を宣言することになるだろう。
A:残念だが、了解した。しかし、流れは変わるものだ。将来、〝その時〟が来たら、どうだろう?
T: 〝その時〟か? 〝その時〟が来たら、別途、検討することになるだろう。

以上は私の勝手な想像であり、合っている保証はない。しかし、当たらずと言えども遠からずで、割と等身大に近いのではないかと思っている。
つまりトランプ氏は「TPPは離脱する」と安倍首相に伝え、その上で安倍首相は「信頼できる」と語っているのである。

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著者 著者

【著者】
広沢 大之助

出版業界でおもに社会科の本の編集にかかわってきました。全国の中学校の授業で使う公民・地理・歴史の資料集や参考書、その他多くの書籍をつくっています。
「国民のための社会科」では、眼光紙背の精神で、政治経済・社会問題・産業などについて、くわしく、わかりやすく解説していきたいと思っています。
プロフィール

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