国民のための社会科

日本の文化と地理

政治を「祭り事」というのは、なぜか? 歴史を遡り、その秘密を解く!

2019年1月14日

古代の日本の祭政二重政権とは?

最近、中国・朝鮮半島・アメリカなどの動きは、相変わらずである。川の流れに例えて言えば、表層は変化しているが、中層や下層は変わらない。であれば、表面的な事象を追いかけるよりも、もう少し根源的なことに触れて行きたい。
今回は、祭政二重政権について考えてみよう。

「歴史から来る何か?」とは何か?を探る。

我が国では天皇が国事行為を受け持つ。たとえば内閣総理大臣の任命では、
1.国会が内閣総理大臣を指名する。
2.天皇が任命する。
3.総理がその任に就く。

という手順を踏む。

こんなことでは、もし、戦争になって総理が亡くなり、天皇が敵に囚われてしまった場合、新しい総理を選んでも任命する人がおらず、国の最高指導者がいないことになってしまう。「日本国憲法でそう決められているから」と言えばそれまでだが、なぜわざわざ天皇などというものを入れるのだろう?
反天皇的に、「天皇は要らない」という人もいる。

ただ、周囲で天皇不要論を言う人は、右とか左とかは関係なく底野浅夫君で、普段からその他の意見も深みに欠けているタイプが多い。
ある程度の年齢・経験を積んだ人なら、「歴史から来る何かがあるのではないか?」と、ワンクッション置くのが、普通だからだ。
チャーチルは「若者で左派でない者は情熱に欠け、熟年で保守派でない者は思慮に欠ける」と語ったが、それに通じるものがあるのだろう。

では、多くの人が漠然と感じる「歴史から来る何か?」とは何か?
それがテーマである。

古代の史料に見る祭政の二重

使者言う、倭王は天を以て兄と為し、日を以て弟と為す。天未(てんいま)だ開けざる時、出でて政(まつりごと)を聴くに跏趺(かふ)して坐す。日出れば、すなわち理務を停(とど)めて云う、我が弟に委(ゆだ)ぬと。
高祖いわく、これ大いに義理なし。是に於て訓(おし)えて之を改めせしむ。(『隋書』倭国伝/PCにない字はある字に置き換えた。)

【意味】倭の使者が、隋の皇帝に国内の様子を聞かれて答えた。
「兄王は夜中に天を祀り、夜明け前に弟王とあぐらをかいて向かい合い、政治の様子を聞きます。太陽が昇れば、兄王は『あとのことは我が弟に任せる』と言います。」
高祖(皇帝)は「それは道理に合わない」と言って、改めさせた。

ここにあるのは、古代の日本の祭政の様子である。兄は夜中に起きて神を祀り、弟が昼間に現実の政治を行った様子が伝わってくる。
古代には祭祀と政治が混ざり合っていた、と言われる。その名残りとして、今でも政治のことを「祭り事」と呼ぶ。
しかし、祭祀と政治ではやることが異なるのも事実であり、そのため役割分担が行われていた光景が見えてくる。
その際、兄(上の者)が祭祀を受け持ち、弟(下の者)が政治を受け持った。つまり、祭祀は政治の上位に置かれていた。

このことは大和政権はもちろん豪族たちも同様で、九州の熊襲の兄熊・弟熊(あにくま・おとくま)、大和国一地方にいた兄猾・弟猾(えうかし・おとかし)なども、そうであったかと推察される。なお、この場合、現代で言う兄弟ではなく、兄妹などもあり得る。
このどちらも〝兄〟は殺されて、〝弟〟は大和朝廷についたが、古代においては戦いに敗けたら一族の氏神を祀ることを止めるか、氏神が戦勝国の氏神の下に入ることになっていたため、〝兄〟が一族の誇りをかけて戦いの中で殺され、〝弟〟が相手国に従ったのだろう。

有名な卑弥呼も鬼道でよく衆をまどわし、弟がこれを補佐していたと伝えられているが、邪馬台国も祭政二重政権であったと見てよい。
鳥越憲三郎氏は「神々と天皇の間―大和朝廷成立の前夜」(朝日文庫)の中で古代王朝を精査して、長兄が祭祀を受け継ぎ、次兄が政治を受け継いだことを論証している。これは、我が国の古代政治を見るに当たって、注目に値する。 
鳥越氏はさらに第16代仁徳天皇の頃を終焉とする。この頃になると現実の政治権力が大きくなり、魅力的なものとなって、長兄も政治を受け継ぎたがるようになったからである。

その後、古墳時代から平安時代にかけて、天皇は政治権力を握ったが、源平争乱を経て武家に政治権力を掌握されて祭祀を受け持つ側となり、現代へ至る。

こうして見ると、祭祀と政治を「祭り事」としてひとまとめにした上で、さらに分けて車の両輪にする思考法が、我が国の「文明の本能」としてあり、それは弥生時代までさかのぼる根深いものであることが、わかるだろう。

弥生時代どころか、もしかしたら縄文時代を淵源とする可能性もなくはない。縄文時代というと原始的な狩猟採集のイメージがあるが、1万5000年前から3000年前まで続くこの時代には約1万2000年もの長い期間があり、晩期には国内の地名の多くもできていたし、国造(くにのみやっこ)などの役職が生まれていた可能性もある。その様子は、古墳時代や飛鳥時代とあまり変わらない。

では、「文明の本能」とは、何だろう?

国によって全く異なる文明のあり方

民族の性格の違い

日本列島の西には中国があり、その南にインドがある。
中国は日本の近くに位置する上に文化的影響を受けたため、日本と中国は同じ文明圏のように思っている方も少なくない。
しかし、実のところ、黄河流域に生まれた中国文明は日本人が考えるよりは、はるかに西アジアの砂漠の文明の色彩が強く、日本文明とは異質である。

たとえば、中国の人間関係では帮(ほう)や情誼(ちんいー)といった輪のようなものを優先し、その内にいるか外にいるかで態度を全く変える。輪の外にいる相手は死のうが生きようが、全く気にしない。だましても、だまされた方が悪い。
アラビア周辺の人々が、同じ部族か他部族かで全く態度を変えるのとよく似ている。

結婚では同族は娶らない。これは遊牧民の影響かもしれない。羊の群れを飼って近親間で仔を取ると、弱い仔が生まれやすい。そうした現象が元になった習慣だろう。
また、狩猟民的な性格も併せ持っている。猟師が賢い獲物を罠にかけて捕らえるのは賞賛すべきことであり、国が国をだますのも同様である。本来、中国より日本の方が狩猟は重視されてきたのだが、「政治の国」である中国の方がそういう性格が強い。

中国は一方で地面を耕す堅実な農耕民の性格も持ち、事実を尊んで歴史や社会を重視し、故に史伝も正確であるというような点に、文明としての特徴がある。人の価値も、その文章の魅力によって測るところがあった。
そのため、いつ、誰が、どこで、どんな理由で何をしたといった記録の集積を延々と重ねてきた。さらには、儒教のように人間の習慣に過ぎないことまで、「思想」にしてしまった。

一方、インドは中国とは全く異なり、このような「事実の記録」になど、何の価値も見出さない。
この民族は普遍性を極度に追求する。たとえば、司馬遼太郎氏の「空海の風景」からの知識だが、古代サンスクリット語の表現では「孔雀は平気で毒虫を食う」とは言わず、孔雀は悪食で毒虫でも貪り食うため、毒を食う存在として昇華され、「孔雀は解毒性によって毒虫を食う」と言う、とのことである。

そんな具合であるから、「誰がやった」「誰が言った」などは、たいした価値がない。「いつ」という時間の観念もない。時間とは始まりも終わりもなく、ただ遍在するものである。
故に事実の集積としての歴史など、価値が高いとはされない。
漢民族が大切にする歴史や社会的思想、とくに儒教などは、インド人から見れば幼稚で他愛もないものであろう。

民族の性格の「なぜ」には、答えはないが…

中国人にせよ、インド人にせよ、「この民族は、なぜこのような性格なのか?」という問いに答えるのは、まず不可能だろう。
地理や気候などから「こういう気質が形成されたのではなかろうか?」と類推するのが、関の山である。たとえば「メソポタミアの砂漠という変化のない環境から、ユダヤ教の絶対神が生まれたのではなかろうか?」というように。

それは日本人も同様であり、「なぜ、祭政二重政権だったのか?」という問いに答えることはできない。ただ、初めて武家政権を樹立した源頼朝も、それ以降の支配者もずっと朝廷を立てて、取って代わろうとはしなかった。
それは日本人の基本性格と何らかの関係があることを認識し、軽視すべきではない、と思う。

たとえば、天皇による祭祀をなくして、政治家と官僚による政治だけにするのは、要するに明快な論理だけで社会を維持していくことであり、私たちの文明の持つ微妙な綾のようなものを消して行くことに通じる。
そういうことはアメリカ人なら当然とするだろうし、中国人も耐えられる。広い国土を行き交う多くの民族が意思疎通をはかるために、日本人にはない合理性や論理性が発達し、骨の髄にまで沁み込んでいるからだ。

日本人はその逆で、表向きは合理的な考え方を取るが、民間信仰などに特徴的なように、精神の中には非合理的なものが渦を巻いている。 そのような日本人にとって、陰影のない合理的な社会は住みよいだろうか?

祭政二重政権はあるべくして、ある。
最近の日本は20年前と全く異なるIT社会となっているし、この先の未来も予想のつかない変化を繰り返していくだろう。
それでもなお、「文明の本能」は脈々と受け継がれていく。その社会でも、おそらく祭政の二重は残る。もし残らないならば、この国は滅びているかもしれない。

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著者 著者

【著者】
広沢 大之助

出版業界でおもに社会科の本の編集にかかわってきました。全国の中学校の授業で使う公民・地理・歴史の資料集や参考書、その他多くの書籍をつくっています。
「国民のための社会科」では、眼光紙背の精神で、政治経済・社会問題・産業などについて、くわしく、わかりやすく解説していきたいと思っています。
プロフィール

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