国民のための社会科

日本の文化と地理

「聖徳太子はいなかった」は、本当か?〜聖徳太子不在論の真実

2019年3月11日

最近、本業では歴史の本づくりが続いていた。お陰で頭の中が「政治経済」よりも「歴史」になってしまった。このサイトの更新を行うにあたっても、しばらく「歴史と文化」路線を追ってみようか、と思う。

今回は「聖徳太子不在論」を取り上げてみよう。

「聖徳太子不在論」とは、文字通り、「聖徳太子はいなかった」とする説である。
2000年代の初め、大山誠一という人が『聖徳太子と日本人』(2001年/風媒社)などで、「聖徳太子の実績のほとんどは、作り話や後世の別の人物の実績だ」と主張したことから、問題が喚起された。

ただ、話題の「伝え方」が問題だった。
講演会などで「聖徳太子はいなかった! いなかった! いなかった!」と激しく言い立ててまわったのである。
聖徳太子は、隋の皇帝・煬帝(ようだい)を相手に対等外交を主張し、日本と中国の関係を決定した、日本人にとって特別な人物である。
その人物を否定する言い方があまりにも激越であったため、講演を聞いた人の中には失神する人もいたほどだった、という。

その後、大山氏に追随する人も出た。世の中には自分の国をおとしめることに、妙な情熱を燃やす人もいる。

ただし、この場合の「いなかった」というのは、一種の比喩である。「本当にいなかった」わけではない。その辺の誤解を解いておこう、と思う。
自国の歴史を過度に誇る必要はないが、過度に否定するのも「どうか?」と思うからだ。

聖徳太子と日本人 聖徳太子と日本人 聖徳太子と日本人

日中の関係をくつがえした聖徳太子の外交

弥生時代には、日本と中国は既に密接に関わっていた。最初のうちは、日本が貢ぎ物を持って中国へ使者を送り、地位を認めてもらっていた。
その関係は日本が国力をつけるに従って、徐々に変わっていく。そして、天武天皇の時代に「国号を日本とする」と伝えることで、日本の勃興を印象づけた。さらに、聖徳太子が関係を決定的に変えた。

聖徳太子は、607年、小野妹子を遣隋使として派遣し、「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙(つつが)無きや云々」という文書を煬帝(ようだい)に届けさせた。
「今後、日本は中国と対等の関係とする」という高らかな宣言だった。煬帝が「蛮夷の書、無礼なる者有り。復(ま)た以(も)って聞(ぶん)する勿(なか)れ」と怒ったのも無理はない。

この聖徳太子の書に関しては、「日本の国のあるべき未来像を描いた」と考える人もいれば、「若くて未熟だった聖徳太子の勇み足だった」と考える人もいる。どう評価するかは人それぞれだが、これ以降、日本が中国の冊封体制に還らなかったことは、事実である。そして、自主独立の道を歩むことが、その後の基本姿勢となった。
※室町時代、足利義満が利益欲しさに、明と朝貢貿易を行なった例外はある。

聖徳太子がいなければ、現代日本は韓国のように中国を宗主国とする意識から離れられず、中途半端な国体となっていたかもしれない。
その意味では、聖徳太子の重要性は高く評価して、し過ぎることはない。

大山誠一氏の主張は、小さな学説を拡大したもの

『聖徳太子と日本人』などで「聖徳太子の実績のほとんどは、作り話や後世の別の人物の実績だ」と書いた大山誠一氏の主張は、どう見るべきだろうか?

実はこういった主張自体は、それまでも多くの学者から為されてきたことで、珍しくも何ともない。というより、「十七条憲法」や「法隆寺薬師像光背銘文」、「天寿国繍帳の銘文」などを、「本当に全部、聖徳太子の実績だ」と考える学者の方が少ないだろう。
つまり、ある程度日本史を知っている人にとっては、何がどうという意見ではない。
一般の方だって、「同時に7人の話を聞いた」などという伝説は信じないだろう。

では、なぜ大山氏はそんな行動を取ったのか? 自分の主張を、とにかく人に伝えたかったからか?

皮肉っぽい見方かもしれないが、たとえば井上光貞氏のように山ほど功績のある第1級の学者であれば、本の脚注か何かに「聖徳太子の業績とされていることの多くは、後世の別の人物の手になるものである可能性が高く、疑わしい」程度に小さく書いて終わりである。

しかし、ほかに実績のない大山氏にとっては、こんなことを声高に言うくらいしか、できることがなかったのだろう。

余談だが、江戸時代の「鎖国」も話題になりそうである。第3代将軍徳川家光以降、日本は鎖国をしていたが、幕府だけは天領で貿易を行っていたことに注意してほしい。
これは虎狼のような西洋列強の影響力を避けながら、貿易の利益を確保し、情報を収集しようという、自他の実力をよく考慮した上での徳川幕府の対外戦略だったのである。
そんなことは、たとえば大石慎三郎氏クラスの研究者には常識だが、一般の方にとっては、意外さゆえに歴史観が変わるほどの視点になり得る。この種のいわば「隙間学説のクローズアップ」は、これからいろいろオープンになってくることだろう。

結局、聖徳太子はいたの? いなかったの?

私は社会科の編集者として学校の資料集などもつくっている身なので、自分の目で史料類を検討した。
その考察をまとめて、お伝えしよう。

ポイント1:生きていたときの名前と諡名(おくりな)

まず、聖徳太子という名前は、死後の諡名である。
呪術社会であった古代には、「人の本当の名前は、ほかの人には知られないようにする」という習慣があった。本名を知られると相手に支配されると考えられていたからだ。
生前、聖徳太子は厩戸王(うまやどおう/若い頃は厩戸皇子)と呼ばれていた。『日本書紀』には、上宮厩戸豊聡耳太子(かみつみやのうまやどのとよとみみのたいし)という名も記されている。

では、「厩戸王」あるいは「上宮厩戸豊聡耳太子」と呼ぶべきか? 
しかし、そんなことをしたら、ほかの人物も諡名ではなく、現世に生きたときの名で呼ばなくてはならなくなってしまう。
たとえば、平安京を開いた桓武天皇の「桓武」も諡名だから、諱(いみな)で呼ぶのが公正ということになる。すると「山部王(やまべおう)」だ。
「うぐいす鳴くよ、平安京! 794年、山部王は平安京を開きました。」ではサマにならないし、「桓武」を「山部」に言い換えることに何か意味があるだろうか?

結局、文科省検定教科書では聖徳太子と厩戸王(厩戸皇子)を併記することになったが、本来、聖徳太子は聖徳太子と記せば十分であろう。

ポイント2:実在の人物か?

厩戸王は、実在した。これは歴史的事実である。
さらに『日本書紀』などを読む限り、聖徳太子は政治家として未経験に近い状態から出発したにもかかわらず、老練な大政治家の蘇我馬子と協力しながら、利用すべきことは利用して行政の指揮を取っている。この2人の関係では、おおむね聖徳太子が蘇我馬子をリードしていたという印象を受ける。

おそらくは聖徳太子の頭脳(IQ)・心の知能指数(EQ)・政治センスが非常に高く、人格も優れ、自然と指導的立場に立ったのだろう。その際、煬帝を相手とする外交の成功が、内政での発言力アップに役立ったことは、言うまでもない。

聖徳太子が卓越した人物であったことは、まず間違いない。煬帝への国書にしても、「優秀だが、若い未熟な政治家の勇み足」というより、「優れた宰相が、大政治家の目で日本の進むべき方向性を定めた」と言い切った方が、ここは変にへりくだらず、素直に思われる。

のちに聖徳太子が若くして亡くなったあと、蘇我入鹿は聖徳太子の息子の山背大兄王(やましろのおおえのおう)を滅ぼした。蘇我家は聖徳太子にずっとリードされてきたので、強い警戒感があったのだろう。

ポイント3:業績は事実か?

聖徳太子の業績については、どうだろう?
実はこれが、かなりあやしい。大山氏の指摘している通りである。
しかし、伝説に取り組むときに重要なのは、「伝説だから誤り」として否定するのではなく、「なぜ、そのような伝説が生まれたのか?」を考えることである。

おそらくは非常に卓越した人物ゆえに、後世の人々が「この業績も聖徳太子による」「あの業績も聖徳太子による」とつけ加えていき、聖徳太子像が形成されていったのだろう。民衆による、一種の英雄待望だと思われる。

中国で言えば、『三国志』の諸葛孔明が脚色されて、1000年に1人の大軍師となったのと似ているかもしれない。

問題の聖徳太子の国書に対しては、隋の煬帝は怒り、小野妹子も朝廷に「煬帝の返書は失くした」と報告した。報告しにくい内容であったので、帰路、捨てた可能性もある。
にもかかわらず、翌608年には、煬帝は裴世清(はいせいせい)を返礼の使者として、日本に派遣してきた。

当時、朝鮮半島では動乱が続いていた。北部の高句麗は日本を味方につけることを画策して、仏像を造る費用として黄金を贈ってきたこともある。
煬帝は朝鮮半島の政治状況に対応するため、聖徳太子の態度を受け入れるしかなかった。
日本には隋から学ぶべきことも多々あったが、それまで通り、遣隋使も受け入れた。聖徳太子の読み勝ちと言ってよい。

その後、日本は中国とは異なる独自の道をたどり、トインビーやハンティントンが考察したように、現在は日本文明と中国文明は全く異なる文明となっている。

結論:聖徳太子はどう評価すべきか?

上記のようなことを踏まえると、「聖徳太子の業績とされることの多くは、後世につけ加えられた可能性が高い。しかし、実在した人物であることは間違いなく、古代において日本の対中姿勢を決定した偉大な人物であることは変わらない」と言える。

なお、大山誠一氏については、歴史の編集者が集まると、「〝いなかった〟は言い過ぎだ」という話になる。
これも妥当な評価であろう、と思う。

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著者 著者

【著者】
広沢 大之助

出版業界でおもに社会科の本の編集にかかわってきました。全国の中学校の授業で使う公民・地理・歴史の資料集や参考書、その他多くの書籍をつくっています。
「国民のための社会科」では、眼光紙背の精神で、政治経済・社会問題・産業などについて、くわしく、わかりやすく解説していきたいと思っています。
プロフィール

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