国民のための社会科

日本の政治・経済・社会

名こそ惜しけれ:責任感に欠けた世の中に求められる、関東武士の精神

2018年7月6日

文部科学省の前科学技術・学術政策局長の佐野太氏が、支援対象校の選定で東京医科大に便宜を図る見返りに、自分の子どもを入試に合格させてもらっていたことが発覚した。いわゆる裏口入学である。
佐野氏は真面目な能吏で、事務次官の候補でもあったというが、倫理観が欠けていては、どうしようもあるまい。

国会では、長く引きずった森友問題の実像がようやく浮かび上がってきたところである。あれは、「ごみ撤去費用が曖昧だったところを籠池氏につけ込まれ、小学校開設が遅れて訴訟になるのを恐れて、財務省が値引きを飲んだ」というのが実態のようだが、その際、公文書を偽造するという愚を犯した。

官僚の矜持は、どこへ行ったのか?


話はいきなり中国へ飛ぶ。
今、習近平は「トラもハエも叩く」と言って、腐敗撲滅にやっきになっている。しかし、この問題は根深い。

紀元前数百年の春秋戦後時代、中国の人々は創意工夫をめぐらせ、さまざまな思想が生まれ、活況を呈していた。しかし、漢の半ばから中国は急に鈍くなっていく。
きっかけは高祖から7代目の武帝が、儒教を国教としたことである。このとき、ブレーンの董仲舒は儒教の難しい理屈を単純化し、「仁義礼智信」という徳目を守っていればよいということにした。単純化という作戦は成功し、普及する基となった。

儒教は人として大切な徳目を教える上で、立派な思想である。しかし、その中に毒が潜んでいた。
孔子の教えは「親を大切にしろ」という「孝」が基本で、親や先祖、村の年寄りを大切にし、礼儀を重んじる。
人間社会においては美徳とも言える「孝」がなぜダメなのかと言えば、それは血縁と地縁の調和のためにあり、何よりも親のことを考えなければならないので、「国家」を考えることができなくなってしまったのだ。
現在の中国人には、ナショナリズム的な愛国心はあっても、国というものがわからないのだろう。わからないから、マルクス・レーニン主義を取り入れ、中国共産党がはびこり、ひどい状態をつくり出してしまった。

儒教はさらに科挙に取り入れられることで普遍化するが、科挙は実利と結びついてしまった。すなわち汚職や腐敗である。それは「清官三代」と言われるほどだった。腐敗と縁のない清官でも、3代暮らせるほどの蓄財ができるという意味だ。これはまさに現代中国にそのまま引き継がれている。
その上、儒教は朱子学という形而上学を生み、非現実的な思考法の影響を受けた朝鮮半島は、いわゆる「アジア的停頓」に陥っていった。

朱子学は日本にも、もたらされた。ただし、科挙がないのが幸いした。試験科目ではないので客観的に考察し、荻生徂徠は「何が正義というような観念的な価値判断ではダメだ。現実の社会は複雑なのだから、物事の内容やその原因、あるいは影響などをよく見てから判断すべきだ」と考えた。最終的に「漢学はやるが、朱子学はやらない」と宣言した。
日本は、儒教の毒から免れた。

科挙は本来、優秀な人材を選出するための制度で、家が貧しくても科挙に合格すれば高官になることもできた。それだけ聞いていれば悪くなさそうである。
実際、イギリスやフランスは科挙があったことで中国を文化国として見直し、一部を自国の試験制度に取り入れた。

ここで問題が起きた。日本もつられて科挙を評価し、明治時代に高等文官試験などを始めてしまったのである。それまでは中国の制度など全く参考にしなかったのに、イギリスやフランス以上に丸のまま取り入れてしまった。
時代は薩長の大物が引退して世代交代が進む頃であり、官僚制による後継者が大量生産された。彼らは秀才だったかもしれないが、責任感に欠けていた。明治維新から日露戦争へ至る知恵と創意工夫の成果は、昭和前期のわずかな期間で烏有に帰した。


十数年前、取引先の出版社で問題が起きて、担当者が2人懲戒免職になったことがある。この時、私は出版社側の証人になったが、話を聞いていると、その人たちが指示出しをして私にさせた作業まで、私の責任にしているのだった。
普通、自分が誰かに指示出しして問題が起きれば、指示を出した者が責任を負う。たまにわかっていて、責任を部下になすりつける上司が昼ドラのネタになる。が、その人たちの場合は本気だった。悪意を持ってなすりつけるのではなく、最初から「自分が責任者なのだ」という意識を持っていないため、平気でほかの人のせいにするのである。
そんな経験があるので、「責任感のない責任者」とはどういうものか、体でわかるような気がする。人柄は善良だし、ルーティンワーク的な仕事をやっている間は、とくに問題は起こさない。ただ、仕事を自分のものとして受け止めていないので、気概が必要な難しい仕事では綻びが生じる。文部科学省の佐野氏の評価はかなり高かったようだが、それに類する人だったのだろうかと思う。

「責任感のない責任者」は、江戸時代にも多かった。何事も自分の責任で決定せず、事なかれ主義で、漠然と「上司の命令だ」などと言うが、その上司が誰なのを問い詰めると、特定の個人ではなく、煙のような存在となる。
そう考えると、責任感のない人間は必ずしも科挙や現代の大学入試によって生み出されるものでもなく、人間の中に一定の比率でいるのだろう。ただ、試験がそれを助長することや、職場の体質が助長することはあると思われる。

問題化しているのは、官庁だけではなさそうだ。ちょうど今日の読売新聞に「品質不正 止まらぬ連鎖」という記事で、神戸製鋼所の検査データ改ざんをはじめ、三菱マテリアルや日立製作所などの不正問題の一覧が掲載されていた。
高品質と信頼を誇った日本製品に問題が起きている状況を見ると、日本は「アジア的停頓」に引きずり込まれる曲がり角に立っているのかもしれない、と感じる。

入試の欠点を軽減していくための対策についてはさまざまに論議されているが、対策の成果が出るまでのんびり待っているわけにもいかない。

私たちは、どう対処すればよいのか?
ひとつ思い当たるものがある。それは「名こそ惜けれ」の精神である。司馬遼太郎はヨーロッパでキリスト教が生んだ倫理に対抗できるものとして、平安時代末期、関東武士の間で生まれ、鎌倉時代の気風のもとになった「名こそ惜けれ」の精神を挙げた。「自分の名前を汚すようなことはしない」ということだ。(『司馬遼太郎が語る日本2』朝日新聞社 p.186)

「名こそ惜けれ」とつぶやいていれば、入試の毒にも耐え得るし、社会人としてそう馬鹿なことはしないだろうと思う。

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著者 著者

【著者】
広沢 大之助

出版業界でおもに社会科の本の編集にかかわってきました。全国の中学校の授業で使う公民・地理・歴史の資料集や参考書、その他多くの書籍をつくっています。
「国民のための社会科」では、眼光紙背の精神で、政治経済・社会問題・産業などについて、くわしく、わかりやすく解説していきたいと思っています。
プロフィール

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